光陰矢のごとし。
どうも、zanです。
投稿小説という形から始まった「zan」というネット上での自分。
気付いてみれば、その始まりからもう三年が経過しています。
他人に比べて読む活字の量が少しばかり多かっただけ、
高校に入った辺りから少々のライトノベルを好んで読むようになったくらい。
何の技巧も無く、文章表現の決まり事さえも欠落していたあの頃。
それでもただ、己が衝動に任せるままに書き殴って出来た一つの作品。
あの頃には技術的な物が何も無い代わりに、執筆に対する「熱」があった。
今思ってみれば、それは「飢え」にも似たものから生まれたものだったのでしょう。
心の中に在るものを吐き出し、形にする事で「自分」の一部を表現する。
人付き合いが苦手で打ち込めるものがない自分にとって、
「何かを書く事」とは、自分を精一杯に表現出来る唯一にして最大の手段でした。
そして、出来上がった作品を誰かに読んで欲しいという欲求。
これが強かったのは、今まで自分の中に押し込めて来た自己顕示欲を満たしたいと思ったからかもしれません。
書きたい、読んで欲しい、自分をもっと知って欲しいという渇望から自分の執筆は始まりました。


そして今、自分の執筆は沈黙して久しくなっています。
あの頃には物が無かった。
バイトもしないからお金も無く、欲しい物は毎日の昼食代を削って買う。
故に買う物も限定され、「出来れば欲しい、やってみたい」レベルのものは買えない。
買ったゲームはしっかりとやり、無駄な買い物はしない。
執筆を始めた頃には、家にインターネット回線も引かれていませんでした。
しかし、社会人となって定収入がある現在では、金銭的な余裕がある。
自分で稼いだお金でインターネットも好き放題出来る。
DVDも沢山借りて見ることができ、今まで手が届かなかったゲームも買う事が出来る。
今まで興味が無かったジャンルにも手を伸ばす事が出来る。
今までに「手に入らなかった物」が、貯金を下ろすだけで手に入る――
それを続け、欲求を満たしてきた結果、あの頃の「飢え」が薄れていったのでしょう。
あの頃は手に入らなかった物に対する思いを「文章を書く」という行為で代償していました。
しかし、今ではその行為の必要性がない。
書く事の欲求が徐々に無くなっていったのも成り行きなのでしょう。


情熱が薄れ、技法も忘れ、錆付いて止まってしまっている執筆の腕。
それでも、ゲームをしていて良い言い回しがあったらすぐメモにして残してしまう。
あるシチュエーションの中で自分の創り出したキャラクターならどう動くかをつい考えてしまう。
どちらも、何も書かないなら特に必要の無い行動。
――それでも、完結した作品を見てみたい。
それは、微かに残っているそんな欲求から来る行動なのかも知れません。
書くにせよ書かないにせよ、まずはしっかりと働いて自分を養う。
自分の世話も出来ないようないい加減な人間に偉そうな事をいう資格は無い。
頑張れ、自分。
頑張れ、自分。